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Mia(直美)とEverret(一)とKeiko(恵子)とYuki(幸)の部屋

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ジージーのお話

ジージーは1947年1月17に生れました。 生まれたのは日本、神奈川県横浜市神奈川区西神奈川五丁目128番地です。第二次世界大戦が終わったのが1945年8月15日で、終戦後1年半過ぎたばかりの時に生まれました。戦争の為に沢山の家が壊されました。

終戦直後の町

それで、新しい家を作る木材もないのでバラック小屋を建てました。

ジージーが3才の時に家の前で撮った写真です。窓ガラスはありませんでしたので板の窓でした。トタンの屋根で雨が降るとトロトロと音がきこえました。そして時々雨漏りがあって、バケツを床に置いてました。

ジージーの家族はお父さんと、お母さんと、お姉さんが二人と、お兄さんと一緒に六人で小さな家に住んでいました。でも、ジージーは楽しい思い出が沢山ある子供の時代を過ごせました。

ジージーはお母さんが大好きですでした。おかーちゃんと読んでました。 ジージーとおかーちゃんの写真です。

ジージーのお父さんはおとうちゃんと呼んでました。お父ちゃんは仕事に行っていました。

直美ちゃんはジージーのお父さんとお母さんはひ孫ですね。直美ちゃんのママやカオルおばさんのおじいちゃんとおばあちゃんですね。

ジージは近所の子供達と一緒に良く遊びました。 ジージが誰かわかりますか?

ジージはお祭りがとても好きでした。小さいからおみこしは担げませんでしたが山車(だし)は皆と一緒に引っ張りました。 引っ張るとスイカやジュースをくれました。

お神輿(みこし)
山車(だし)

ジージーがお祭りのきものを着ています。 手に包帯をしているのは熱いお湯をかぶったからです。手の指がくっ付いてしまって、近所の犬猫病院の先生の直してもらいました。直美ちゃんも気をつけてください。

ジージーが子供の頃にした遊び

メンコ、ベーゴ、ビー玉

ジージーはベーゴマやメンコが得意でベーゴマは500個、メンコは2000枚持っていました。

ベーゴマ
ビー玉
メンコ

日本では七五三と言って、女の子は三才と五才の年に、男は五才の年にお祝いをしてもらいます。

ジージーは五才の時にジージーの大好きな清子姉さんと親戚の安信舎の牛乳屋さんの前です。新しい洋服を買ってもらいました。 

六歳になり小学一年生になりました。 新しい制服と皮のランドセルを買って貰いました。他の子供達は牛皮のランドセルでしたが、僕のランドセルは豚の皮だったのを覚えています。 でも、ランドセルも買えないお友達もいました。

小学校の名前は神橋小学校で今でもあります。いつもお友達の望月君と一緒に六角橋の川の横を通りそして神社の長い階段を上って学校に行きました。 小さいときよくその階段の上からスーと飛んだら鳥のように飛べる夢を良く見ました。  ある日PTAでジージーのお母さんが学校に来たら、生徒の皆が勉強をしている時間にジージーが教室に見つかりませんでした。 その時ジージーはひとりで校庭で鉄棒で遊んでいたそうです

下の写真は小学2年の遠足です。担任の小坂先生が一番したにいます。ジージーのお母さんも一緒に遠足に来てくれました。ジージーとジージーのお母さんはどこにいるかわかりますか?

この写真は小学5年の遠足だと思います。担当は岸先生で、背が高く笑った顔は覚えていません。それからいたずらをした罪で黒板の字をチョーク消しで頭にボコーンと打たれた思いであります。ジージーはtの字の裏にいます。

小学六年の時に神奈川区白幡仲町に引っ越しました。でも、神橋小学校は少し遠かったけど歩いて通いました。そして卒業もしました。家は八幡神社のすぐ下にありました。

神奈川中学校は家から歩いて20分ぐらいの丘の上にありました。 近所の徳山君と一緒に通いました。

中学校の担任は体育の先生でいつも剣道のしないを持っていて学校内を見回ってました。ジージーは学校内では禁止のベーゴマをして怒られました。

中学の一年目は軟式テニス部に入りました。二年からはバスケット部に入りました。練習は皆と一緒にしましたが試合中はベンチいました。それでも三年生と時に初めて試合にでて、ジャンプボールを相手の選手と一緒にしっかり握ったことを思い出します。 アメリカのテネシー大学に行き,他の学生達とバスケットボールをした時に沢山ジャンプシュートが入ったのを覚えています。

右のコーチの先生はある時北上夜曲をバスケット部の部員達に聞かせてくれました。

とても淋しい歌ですが、とても美しいメロディーでした。今でもこの歌はだいすきです。 ジージーが

大学生になった時に岩手県にある北上川に行って歌を作ろうとしましたが大きな川で水も力ずよく流れていて歌は作れませんでした。でも、岩手県から東京行きに乗った電車のなかで夜の風景を見ていてウクレレを弾いていたら自然と曲が出来て、歌詞も浮かんできてジージーの作曲作詞の歌が作れました。

ところで、なぜジージーが岩手県に行ったのは岩手県の水沢市にジージーの従妹で大泉房子さんが住んでいたからです。房子ちゃんのお母さんはジージーのあ母さんと双子でした。小さい時に養子として岩手県にもらわれて行ったそうです。写真はありませんが、ジージーのお母さんとそっくりで、ある時、岩手のおばさんが横浜のジージーの家にきました。そして、ジージーのお父さんが仕事から帰って来た時にジージーのお母さんが隠れて、岩手のおばさんがジージーのお母さんのふりをしました。そしたらジージーのお父さんは気が付きませんでしたので皆が大笑いをしました。 そして、もう一つジージーが岩手県に行ったのはジージーの大好きな雨ニモマケズを書いた詩人で宮沢賢治が生まれ育った地だからです。 

宮沢賢治は子供達のための本も沢山書きました。

雨ニモマケズ
やまなし
どんぐりとやまねこ

ジージーと大きなサギ鳥のお話

ジージーは小学生の時からアルバイトで牛乳配達をしました。朝早く起きて、牛乳瓶を沢山自転車に積んで遠い町まで自転車で行きました。 でも、ある日雨が少し降った後市電の線路に自転車のタイヤが挟まって転んでしまい、沢山の牛乳瓶が壊れてしましました。ジージーが小学生で力がなかったのだと思います。それからは、自転車の後ろに牛乳の箱を積まないで、右と左のハンドルに牛乳瓶を袋に入れて配達することになりました。でも、前よりももっと遠いまちへ配達に行くことになりました。するとある朝、山の上の農家の倉庫の屋根の上にきれいで大きなサギを見つけました。そして、そばの道で見付けた石をサギに向かって投げました。当たるとは思わなかったけどとてもきれいな鳥だったので、欲しくなって投げました。 そしたら、その石が鳥に当たってしまって、鳥が地面に落ちてしまいました。それで、その鳥を持って家に帰りました。ケガが心配したのと、なんだか取ってはいけない、他の世界から来た大切な人のように思い、思えました。 そして、じーじーの兄さんに頼んでサギの家を作ってもらいました。それから、毎日、えさのカエルを池辺に近い田んぼの小川に取りに’行きました。最初は難しかったけど、そのうち上手になって、小川を歩いてガサガサとする音が土手ですると手をスーっと伸ばすとカエルがつかまりました。そして家に帰ってサギに食べさせました。しかし、そのうちにサギさんの体が痩せてきてしましました。それで、ジージーはサギさんに最初にあった農家のある山に行き放すことにしました。ごめんね。ありがとう。元気になってねと祈りました。

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